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1913年マリオ・プラダとその兄弟が、質の高い革や外国の商品を集めてミラノに設立した店が始まりである。マリオはヨーロッパやアメリカを旅して周り、皮革製品、銀器、クリスタルや貝殻でできたアクセサリーなど、洗練された数々の一流品をミラノの上流階級の間で話題となり、優れた素材の旅行鞄は特に人気を博した。
1957年マリオ他界の後、娘のルイーザ・プラダが店を継ぎ、プラダは革製品を扱う伝統店として続いてゆくものの、時代の変化とともに豪華な品々は人々のライフスタイルにそぐわなくなり、倒産寸前にまで追い詰められていた。
そのプラダに変化の兆しが訪れたのは、1978年にマリオの孫娘のミウッチャ・プラダが夫のパトリッツィオ・ベルテッリとともにファミリー・ビジネスを引き継いでからである。実のところ、ミウッチャはブランド経営に携わるためにデザインを専門に勉強していたわけではなく、みらの大学で政治学の博士号を取得し、一時は学生運動に参加したこともある才媛であった。しかし、78年に三代目としてブランドを引き継いでデザイナーに就任するにあたり、夫のベルテッリとともにブランド再建に力を入れる。老舗の革製品店プラダの名を再び世に知らせることとなったのはやはり鞄であったが、ミウッチャの英断は素材に革ではなくナイロンを使用したことにあった。
この「ポコノ」と呼ばれる工業用のナイロン製防水生地は、もともと祖父マリオがアメリカから輸入して旅行鞄に使用したものだが、ミウッチャはこのナイロン生地を用いてリュックサックなどの軽くてカジュアルな鞄を製作し瞬く間に人気を得る。
1920年代、30年代にヨーロッパの一部の貴族の間で起こったプラダ・ブームが、80年代から21世紀に突入した現在にかけてヨーロッパだけでなくアメリカや日本を巻き込み再来。「プラダッシマ」「ベリープラダ」などの言葉が流行語となり、80年代からナイロン・バッグに付けられたプラダの名を冠した三角プレートはブランドのシンボルマークとして広く知られるようになった。初期にはゴールド・チェーンのついたバッグが流行するが、近年ではクロのトートバッグが定番として人気が高い。1983年からはシューズを発表する。微妙な色合いの革を組み合わせ、ソールやつま先のラインに独特なデザインを施し、シューズの流行も牽引している。そしてついに89年二はレディースのプレポルテ、93年にはもう一つのファーストライン「ミュウミュウ」を発表する。「過去をあいしているので酔うウイに過去に流されていきやすい」とミウッチャ自身が語っているように、過去のものをデザインソースとしてうまく取り入れていることにプラダのファッションの魅力がある。その時代の最先端のファッションを作り上げてきた豪華な装飾や贅沢な素材を現代から振り返り、行き過ぎた装飾とデザインを取り払い、着心地のよいシンプルな衣服にエッセンスとして付け加えること。プラダのファッションがただのシンプルに陥らないわけがそこにある。
日本のある女性誌がプラダやミュウミュウのファッションをかつて「ださかわいい」と評したことがあるが、プラダのファッションはどこか懐かしく可愛らしいという点があり、だれでも手にとることができるようなシンプルでミニマムなデザインの中に、女性がこれまで追いかけては捨ててきた流行のアイテム、例えば毛皮やや幾何学プリント、ミリタリー調のデザインがより洗練された形で表現されている。ミリタリー・ルックをエレガントなオシャレ着に変え、幾何学模様をコートにあしらい、毛皮にシースルーの素材を組み合わせるなど、プラダのファッションに見られるのは奇抜な前衛性ではなく、現在の流行を生きるファッションの伝統である。だからプラダのファッションは懐古的だが革新的であり、ださいけれどもかっこいい。その両義性が、最先端の流行を身に付けてカッコイイ女になりたいと望みながらも一方でかわいらしいものも捨てがたいという世の欲張りば女性たちの心をつかんで離さないのであろう。
プラダのファッションにさりげなく添えられた「可愛らしさ」は、現代社会を生きる女性たちの等身大のおしゃれとして支持されている。プラダは流行を作り出す最先端のブランドでもあるのである。
一方「ミュウミュウ」のブランド名は、ミウッチャの子供時代の愛称に由来しているように、より若々しくポップでカラフルなライン展開となっている。また95年にはメンズ・ウェアを発表する。レディースと同じように機能的かつ質のよい素材を用いたシンプルなデザインがコレクションの中心であり、奇をてらうことのない上質なスーツはビジネスマンにも人気が高い。98年にはプラダのスポーツラインを発表する。黒やグレーを中心とするカラー展開で赤のラバーロゴをトレードマークとし、合成ゴムや得意のナイロン素材を駆使して都会的なスポーティー・カジュアルを打ち出す。そして1999年にアイウェア2000年には化粧品を発表する。大企業化したブランドが化粧品産業に進出することは珍しくないが、プラダのビューティラインとして発売された基礎化粧品はそのデザインでも注目を浴びている。薬さながらのシンプルかつストイックな形状「透明フィルムの袋から使いきりタイプの容器に入った化粧品がのぞいている」は、広告で化粧品の効能を長々と述べる以上に化粧品の鮮度と機能性を消費者の視覚に十分に訴えていると言えよう。
80年代、90年代と商業的にも飛躍的な発展を遂げたプラダは、近年のデザイナーの世代交代と企業買収によるファッション業界再編の動向にも一石を投じている。ベルテッリはすでに93年には靴のメーカーである「グラネロ」を買収しているが、97年にグッチの株主となったときはファッション業界のみならず世間に大きな衝撃を与えた。プラダグループは、家族経営のイタリア・ブランドから世界的な一大ファッション企業へと目覚しい成長を遂げつつある。
一方で、単なるファッション企業を超えたプラダの活動は常にメディアの注目の的になっている。ピッコロ・テアトルスクールでダンスを習っていた経験を持つミウッチャは、バレイの衣装をこれまで数回手がけてきた。そぢてミラノにプラダ財団を設立し、美術品の収集や定期的に展覧会を運営している。このように常に人々の関心を集めるプラダの優れたプロモーション活動は広告メディアをリードし、ファッション業界そのものの活性化にもつながっているといっても過言でない。
(*ファッションブランド・ベスト101より抜粋)
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